高山陣屋の
はじまり
START OF JINYA
江戸時代前期の飛騨国は、
金森氏を藩主とする高山藩の統治下にありました。
元禄5年[1692]、江戸幕府の命令で
金森氏が出羽国[現在の山形県と秋田県の一部]の上山に国替となり
飛騨国が幕府直轄領になると、
金森家家老の屋敷が当初の幕府の支配拠点となります。
その後、金森家の下屋敷があった場所に移転し、
そこに高山城三之丸より米蔵が移されました。
ここから、高山陣屋の歴史が始まります。
下屋敷[しもやしき]とは … 大名が常住する上屋敷以外に設けられた控えの屋敷
直轄領になった
経緯
HOW IT BECAME A TERRITORY
江戸幕府は
金森氏が6代に渡り支配してきた飛騨の国に着目し、
元禄5年[1692]に直轄領としました。
直轄領とは幕府が直接支配した土地のことを言い、
幕府の重要な経済的基盤となりました。
飛騨の地が直轄領になった理由は現在明らかではありませんが、
飛騨国の豊富な山林資源が背景にあったと言われています。
高山陣屋の
代官・郡代
DAIKAN & GUNDAI
江戸幕府が飛騨国を直轄領とした
元禄5年[1692]から慶応4年[1868]に至るまでの176年間、
高山陣屋において、25代の代官・郡代が
幕府による飛騨支配のための執務を行いました。
3代伊奈代官までは関東郡代との兼務、
4代森山代官からは飛騨専任となったものの江戸に在住していたようです。
高山に在住し直接執務を行ったのは、7代長谷川代官の時からでした。
安永6年[1777]、
第12代大原代官の時に、検地の実施による石高増加の功績で、
飛騨代官は飛騨郡代へと昇格しました。
明治以降の
高山陣屋
RECENT THINGS
幕末には全国に60数ヶ所あったと言われている
代官・郡代所の中で、当時の主要建物が残っているのは、
この高山陣屋のみです。
昭和4年1929]には、国史跡に指定されました。
高山陣屋は明治以降も飛騨の行政の中枢であり続け、
昭和44年[1969]まで県事務所として建物が利用されました。
県事務所が移転したのを機に、
高山陣屋を江戸時代の姿に復元し一般公開するための整備事業が行われ、
平成8年[1996]、26年あまりの歳月を経て
江戸時代の姿が再現されました。